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ロシア日記抄
九月二日
五日目。十時起床。何やら喉が痛い。雨に濡れたり溝に落ちたりした為であろう。午後散歩。昨日の市場で惣菜を三つ買う。同じく昨日の並木道で惣菜を食べ本を読む。大きな熊のようなおばさんが隣に遣って来て坐る。腰が痛いから坐るのよとおばさんは仕草する。耳飾りと首飾りが同じですねと指を指すと、これもよと腕飾りを見せて呉れる。白い色をした石で名前を教えて呉れたけれども勿論今は憶えない。十分ほどして私は行くわよとのしのしと市場へ行った。喫茶店二軒。のち港。二十三時半帰宿。
 
九月八日
十一日目。十時起床。海辺二階の喫茶店、港の待合にて読書。駅の前には物乞いの老人が一人。雨に濡れ長く垂れた髪。灰色に朽ちた服。その姿は崇高な彫像の様である。彫像は息をしている。現在二十二時。台処の橙色の灯りの下では、彼は漁師なのであろう、中年の男が漁師を目指す若者に紐の縛り方を教えている。悪くない夜である。
 
九月九日
十二日目。十時起床。朝の台処。旅人は出払い洗濯機が廻る丈の穏やかな時間。宿は劇場である。幕が上がると新たな演者が現れる。私はこの数日穏やかで豊かな人を待っている。晴れたので港へ出る。大きな軍艦、その先にウラジオストクの町が見える。遠くから写真を撮る音がする。自分が何かしら良い景色のなかにいることを知る。五軒目の喫茶店。のちピロシキを買う。昨日選んだのは芋であった。今日選んだ左上は芋と肉である。場所は日日変わるので果たして明日六種類目を引けるかどうかは判らない。
 
九月十日
十三日目。十時起床。朝ゲーテ『イタリア紀行』を読む。昼市場の前にある二日目に林檎を買った果物屋に入る。親父とは店の前を通る度に会釈を交わす仲である。そら、お前の名前はとまとだろうと云ったかどうかは判らないが頻りにとまとを薦めて来るので買う積もりのないとまとを買う。港。のちピロシキ。又もや芋を引き当てる。思えばこれまで五日間で五種類を引いて来たのが幸運と云うものである。芋の綴りを憶えた。帰路港の隅で小さな犬に出逢う。彼は足下で向こう向きに伏せ、頭を撫でろと云う。十分ほど撫でて遣る。本当に撫でられているのは私である。
 
九月十四日
十七日目。八時半起床。朝台処にてロシアの若者とシャシキを遣る。シャシキとは将棋とオセロを混ぜた様な遊びであり全滅させれば勝ちとなる。白い駒と黒い駒を十二個許り遣うけれども互いに数が欠けているので白い蓋や黒い菓子を駒の代わりに置いている。昼前北の海辺で髪を切る。鏡を忘れたので六度鋏を入れた丈である。波は恐ろしくもなり優しくもなる。午後町へ出る。四日前より映画祭が開かれていて言葉の判らぬ異国で映画を見るのも面白かろうと云う訳でイタリアの映画を見る。人生と死と時間を扱ったもので心地好かった。こうしたものに心が動くのは我我は常に朽ちているからである。日没まで読書。夜ロシア人と談話。昨夜より厠の灯りが消えている。各各闇で用を足す術を身に附けつつある。
 
九月十五日
十八日目。朝疎ら食品店。週に四日は見掛ける娘さんが本当に愛らしい。計算機は両手の人差し指でもたもたと打ち百ルーブル紙幣なども両手で静かに納める。彼女の未来に小さな幸せがありますようにと願いたくなる。午後はドイツの映画を見る。のち読書。自由に生きると云うのは本当に難しい。こんな気儘な暮らしであっても私は日に五時間の読書を課し昨日からの三日間は映画の時間も作らねばならない。何物にも縛られない一日など早早あるものではない。
 
九月十七日
二十日目。九時起床。今日を含めても残す処十日である。私は数日前より残りの時間を数える様になっている。今日はここにこれまでの日記から溢れたものを綴って見ようと思う。一。二日目であったろうか韓国の若者が同宿した。彼の声は穏やかで甘くドイツ人が実利的な話で割り込んで来る迄は精神的な話を一時間ほどした。彼はインドが素晴らしかったと口にした。興味深かったのは初めに顔を合わせた刹那軽く会釈を交わした丈であったけれども互いに何かを感じ合ったことである。二。数日前非常に美しいロシアの娘さんが同宿した。宿の若者たちは飛んでもない美人が来たと色めき立った。歳は二十五許り。金色の髪は腰まである。仕事はあらゆる会議を戦略的に運営する何かだと云うことである。ロシアでは美しい人は幾らでも居るけれども彼女にはそれ丈でなく清らかな心が伴っている様に思われた。私たちは台処で或るときは数人で或るときは二人になり一緒に砂糖を探すこともあれば翻訳機を用いて言葉を交わすこともあればお互いに何も云わず各各の作業を進めることもあった。けれどもその横顔や後ろ姿から、私たちが似通っていること、そして互いに悪くは思っていないことを恐らくはお互いに感じ取っていたのであった。私は遠いロシアの地でこの様な娘さんに出逢えたことを嬉しく思い次の日には娘さんの一日を貰えないだろうかと考えたのであった。果たして次の日、娘さんは宿を出た。恐らくは南の島で開かれる会議に赴いたのである。私はいま娘さんが戻って来るのを待っている。三。宿には常に二十人ほどが泊まっている。そのうち英語を話すのは一人か二人である。故に台処ではロシア語が飛び交う。青い目或いは黒い目をしたロシア人が訳の判らぬ言葉で話しているのを見るのは愉しいものである。その表情、身振りからは多くのことが読み取れる。そして人間は詰まる処何も違わないのだと云う当たり前のことを改めて識るのである。四。町を歩いていると当たり前のことではあるけれども日本とは違った処が目に附く。それらを一つ一つ挙げることはしないけれども例えば日本であれば無駄に思える様なこと、都合が悪く思われる様なこともそのままにされている。そうしたことの要因の一つにはこの国が長い間共産国として生きて来たと云うことも挙げられるのではないかと思う。そして無駄や非効率と云った中にこそ情緒或いは何か薫りの如きものが存するのではないかと考えるのである。さて或るときアメリカについて尋ねられたことがある。アメリカとロシアは何が違うかと云うのである。これについては暫く考えているけれども恐らくは日本もアメリカの側に含まれるのであろう。そして私の出した結論は、薄い服を着ているのがロシアで、何か余計なものを着込んで仕舞ったのが我我ではないかと考えた次第である。五。色色と感じることはあるけれども一つ心にあることは私はこの滞在を通じて生きる力が増した様に感じると云うことである。さて今日のことを記そう。本日よりセントヘレナ覚書を読む。晩年のナポレオンに附き従った侍従による日記である。夜はイリナと逢う予定があったけれども次週に持ち越しとなった。町へ出なかったのは今日が初めてである。
 
九月十八日
二十一日目。本日を休息日とする。十一時起床。読書。午睡。読書。台処の卓子の上には誰かの菓子がある。背の高いロシア人が遣って来る。これは君のかい。いや。すると彼は内緒だよと云う仕草をして菓子を一つ取って行く。別のロシア人が来る。菓子を認めた彼は恰かもそれが共有物であるかの様に無言で一つ取って行く。菓子はどんどん減って行く。それを見ているのは私丈である。夕刻身体を動かすべく五キロを走る。海辺を北へ北へと行くと廃墟の様な工場へ行き着くのであった。音楽で世界を廻っていると云うロシアの男は云うのである。何故君はこんな処に一箇月も居るのだ、何故バイカル湖へ行かないのだ、世界一の湖、透明な水、シベリア鉄道なら三日で行けると。私は答える。長く居るからこそ見えるものがあるのだと。それは僕も知っている、しかし君はバイカル湖へ行くべきだ。もしもバイカル湖へ行けば何故君はモスクワへ行かないのだと誰かが云うだろう、モスクワへ行けば何故ポーランドへ行かないのだと誰かが云うだろう、そして僕はその土地で一箇月を過ごさなければならない、そんな時間はないよと答える。詰まり私は台処で菓子が減って行くのを眺めているのである。
 
九月二十一日
二十四日目。昼港で船が出港するのを見る。この船は韓国へそして日本へと廻る。椅子に腰掛けたロシア人の老婆は、私は出逢いも別れもそんなものは知りませんよと居睡りをしていた。夕刻シェイクスピアを見るべく劇場へ行く。けれどもその演目は五年前のもので今日は何もしていないと云うことであった。明日はベートーベンを聴く積もりでいるけれどもこれも本当に遣っているか怪しい処である。今宵は流れを変えるべく赤い下着を履いて寝る。
 
九月二十三日
二十六日目。朝台処にてショウペンハウエル『附録と補遺』を読む。これには自殺と読書についての考察が含まれる。午後町の劇場へ明日の切符を買いに行く。序でに本日の切符も購め夕刻より観劇する。全く意味が判らなかった。遺す処三日。私は、カンディンスキーを見ること、亀を食べること、墓地を訪れることを諦めることにした。幾つかは努力をすれば叶うものもあるだろう。けれどもそれは力を抜いて暮らすと云う第一義に反する。
 
九月二十六日
二十九日目。読書を禁じて町へ出る。菜食料理店、中央広場、港、海辺、馴染みの通りをてろてろと歩く。見知った人には明日帰るのですと挨拶をする。夕刻運動競技場でサッカーの試合を見る。誰が球を蹴るのかと思えば一部リーグ、ウラジオストク対モスクワであった。モスクワの応援が五十人ほどしか居ないのはこの地が距離にして九〇〇〇キロ、シベリア鉄道で七日、緯度にして九十度以上も離れている為だろう。現在二十七時。宿での酒盛りを抜けて外で日記を附けている。残り八時間足らずで一・六の掛け算ばかりをしていた日日が、乗合いの番号ばかりを見ていた日日が、そして私を幾らか解放して呉れた素晴らしい日日が終わる。
 
九月二十七日
最終日。台処で一時間ほど眠り六時に宿を出る。乗合い及び列車で八時過ぎに空港に着く。一箇月前初めて降り立った空港。一箇月前とは明らかに違う私がここに居る。飛行機にてソウル。飛行機にて大阪。帰寧したのが二十時。私はこのロシア行きを殆んど誰にも話さなかった。それは誰かに話して仕舞うと何かしらの故障が生じ実現しないのではないかと怖れた為である。私は中国を経つときもそしてロシアに入るときも最後の最後まで何かしらの故障を怖れた。あれは二十日目辺りであったろうか。私は明け方の五時頃に目が覚めて、自分がロシアの宿の寝床に居ると云うことに大変驚いたのだった。しかし私はロシアで三十日を過ごした。誰もこの経験を私から奪うことは出来ない。
 
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