上井とまと日記 > 日記 > ロンドン日記抄
日記 やねうら われおかき 生放送 筆主
 
地中海日記抄
ロンドン日記抄
ネパール日記抄
ロシア日記抄
八月十一日
飛行機で三時間、中国天津の空港にいる。天津は北京に程近い様である。この空港で十八時間を過ごす。飛行機では三人坐席の真ん中が空いていたので、私と中国の髪の長い娘さんはお互いの荷物をそこへ乗せた。娘さんが坐席の安全具をかちりと締めたので私たちの鞄は恋人のようになった。深更空港の椅子で微睡む。物音に目を覚ますとお爺さんが弁当箱を取り出し赤い液体に米が入ったようなものをもしゃもしゃと食べている。余り旨そうではない。辺りでは二十名ほどが椅子の上に眠っている。詰まりはこれが人間の営みと云う気がする。遠くに咳を聴きながら細切れに眠る。
 
八月十二日
天津より重慶での乗り継ぎを経て飛行機に乗ること十四時間、夜ロンドンに着く。ふらふらと辿り着いた宿は下級水兵の船室のような気の滅入るものである。身体を洗わない者のすえた薫りがする。真暗闇のなか三段寝床の二段目に入る。私はこの船室で二日を過ごすことになる。現在二十四時。駅の広場で日記を書いている。宿がどれほど劣悪であろうとも一歩外へと出ればそこはロンドンである。数日前の私はこの町にいる間に遣って置きたいことを、月を見る、博物館へ行く、郊外へ出る、墓地を見るなど十七挙げている。不図顔を上げればまるで教会のようにも見える駅の時計台。闇夜に浮かぶ文字盤は満月のようである。
 
八月十三日
ロンドン二日目。図書館へ行く。静かな館内では多くの人が勉強をしている。雨が降ればここへ来ることになるだろう。かつて大英博物館の一部であったこの図書館にはシェークスピア、ダヴィンチ、モーツァルトの資料が、マグナカルタの原本がある。喫茶店、駅の構内、満月の広場にて一箇月前に序文丈を読んでいた緋文字を読み始める。満月は二十一時から二十二時の間に同じ処に現れる。
 
八月十四日
朝不快な薫りのする船室を出る。新たな宿は歩いて直ぐの処にある。のち学校へと向かう。歩くこと三十分。途次公園が四つある。二つは地図を見ても名前もないような小さなもので本を読むのに良い場所である。鳩が落ち葉をかさかさと踏む。隣に来たお姉さんにそのパンは何処で買えるのかと訊ねる。十五時英語学校の初日。六級あるなかの四つ目である。生徒は十五名。欧州、中東、南米からの生徒許りでブラジルなどは地球の裏ではないかと思うけれども英国よりブラジルは然程遠くはないのである。帰路国会議事堂を見る。二十六時まで読書。
 
八月十五日
朝テムズ河畔にてオクターヴ・ミルボー『小間遣いの日記』を読む。のち学校。授業が始まると隣に坐るトルコの男がバタンはいるかと云ってアーモンドを五つ呉れる。私は何故今なのだと笑いながらバタンをかじる。美味である。後半は筆記試験。私は学習塾で判らなくとも最後まで力を出しなさいと話しているのを思い出す。しかし判らないものは判らない。トルコの男が、一番の問題無茶苦茶難しくて一つも解けないよと小声で話し掛けて来る。放課後先生と話していると試験のときに思い出せなかった言葉を口にしていて悔しい思いをする。そして自分は久方振りに学生をしているのだと改めて噛み締める。
 
八月十九日
休日。宿の食堂で朝を食べる。ここに居ると色んな人と話をすることになる。私の手帳には多くの人の名前が書かれ、最早誰が誰であったか今となっては判らない。連日余りにも多くのことが起きているようでもあり、結局は何も起きていないのではないかと感じる日日である。午後スペインからの婦人とブラジルからの紳士と美術館へ向かう。単語帳に綴った言葉を次の日に聴くと云うことが度度ある。今日は高級品店、親権、暴風などを聴く。美術館ではモネ、マネ、マチス、シラーを見る。ゴッホがアルルで描いた向日葵や椅子、それからマドリードでも見掛けたザルバランにも出逢う。ルノワールなどは余り好まないけれどもそれでも絵の前に立って見ると暫し離れ難くなる。絵画とは何か。絵画とは何かを封じ込めようとした画家の魂である。
 
八月二十日
朝チリの南端プンタアレナスからの婦人が宿を去る。数日前彼女が声を掛けて呉れてそこから人が繋がり繋がり今となってはどれだけの人と話をしたのか知れない。プンタアレナスと云えば古の航海士がマゼランがダンピアがクックが太平洋への路を求めて航海をした土地である。私の友達は宿をしているのよ、いつかおいでなさいよと婦人は云う。船で南の島へ渡ればペンギンたちが居ると云う。午後コスタリカの娘さんと大英博物館へ行く。夕刻帰宿。食堂にて読書。隣に欧州顔をした初老の紳士が来る。彼は若者が歩きながらに食べるような、羊肉をパンで挟んだものを大きな皿の上へ広げ、傍らには紙を添え、ナイフとフォークを遣いながら羊肉を口へと運ぶ。お店のようですねと云うと彼は静かに頷く。私は再び本を読む。あなたは旅行者ですかと訊くと、彼は私の声など聴こえていないかのようにナイフとフォークを皿に置き、紙で口元を拭い、ワインの小瓶をくぴと飲む。私は餌を待つ小動物のように紳士の答えを待つ。紳士はワインの小瓶を置くと、私には家族が沢山居てね、休暇で逃げて来たのだと云い、再び食事を始める。紳士はアメリカで英語を教えて四十年になる。ロンドンは二十五度目。パリに一箇月、ローマに一週間、ロンドンに一箇月。ロンドンでは毎日遠くの大聖堂へ歩いて通っていると云う。君は毎日歩いているのかいと訊くので、そうですと答えると、それはいいと呟く。
 
八月二十六日
休日。一日イタリアの若者たちと町を歩く。彼らは値段を見る度に、ここは駄目だ高いと云って店を出る。チョコレートを振る舞う店を見附けると早く早くと急き立てる。私は彼らに背中を押されチョコレートの欠片を食べる。しかし私には見える。十年後海軍志望の青年は良い服を着て高い時計を嵌めていることだろう。そのとき彼は今日のことを憶えているであろうか。夜宿にて読書。フランスの娘さんと談話。フランスまでは列車で二時間と聴き突如フランス熱が沸く。あれは宿に来て数日目私は缶詰を開けて呉れと中国の男の子にそれを託した。缶詰は幾人かの手元を経巡りスペインの心理学者が缶詰を開けた。翌朝心理学者に今日は何をするのかと訊くと、美術館へ行くのよ、あなたも一緒にどうと云う。私は断ったけれども、駄目よ、一緒に行くのよと云う訳でブラジルの紳士も含めて美術館へと行った。それから心理学者とは連日言葉を交わす。今夜にしても私は野菜の煮物を、彼女は紅茶を飲んでいると、娘さんが遣って来た。あなたは何処から来たのと心理学者が尋ねると、フランスからですと娘さんは答えた。私は何もしていない。そうして始めは三人で、のちに私と娘さんは深更まで話をした。私は話をしながら何故こんなことになっているのだろうと考えた。するとその始まりは中国の男の子に渡した缶詰なのである。日日には小さな扉が溢れている。そしてその奥には幾枚扉があるのか知れない。
 
八月三十日
ロンドン十九日目。初めて雨が降る。気温十二度と云う肌寒い一日。日数を決めて異国に暮らすのは人生と似ている。半分が過ぎた、残り十日、残り五日と私は日数を数える。途上には別れもある。二十六時販売員主任の男を駅へ見送りに行く。旅の者が道を訊ねに来ると、彼は三週間の勉学の成果を少しイタリアの薫りがする優雅な英語で返した。中空には連日見える満月。
 
九月一日
ここ数日メキシコの男と言葉を交わす。彼は背丈もあり身体もしっかりしているけれどもその声は弱弱しく哀愁を帯びている。いつであったか彼が、ぼくは明日この町に行くよ、ここにはローマ時代の建物が沢山あるんだ、ほら綺麗だろうと云って我我に写真を見せた。するとイタリアの販売員主任の男が、これは全部新しい建物だよ、これも、これも、それにこれは写真じゃなくて絵だよと云ったので、メキシコの男はものすごく哀しい声で、絵、ああ、と呟いた。その声は最早溜め息とも云えるもので私は隣でけたけたと笑った。今宵男が冷蔵庫の前で両膝をつき背中を丸め探し物をしているので眺めていると、麦酒が見附からないと云う。名前は書いたのかと訊くと、名前は書いていないと云う。大きな背中を丸めながら、でも今朝はあったんだ、ああ、ああ、と情けない声を漏らすので私はけたけたと笑った。半時ほどして食堂を出る頃に男は食堂の隅で酒盛りをしている男たちを見て、ああ、ぼくの麦酒だと飛び切り哀しい溜め息を吐いた。何故君はいつも笑うのだと男が云う。それは彼の声が何とも云えぬ哀愁を帯びているからである。本日よりアランの幸福論を読む。
 
九月五日
ロンドン二十五日目。日記より漏れたものを記して見る。更にこれよりも漏れて忘れて仕舞ったものもある。一。朝になると同宿の者は、六時頃がさがさと音がするから眠れなかったわなどと云う。しかし私は疲れている為か全く気附かない。そう話すとかつて私の上に寝ていたメキシコの女獣医は、そうね、あなた気持ち良さげに寝ていたものねと云った。一体私はどんな顔をして眠っているのであろうか。二。アメリカから来た初老の紳士は今も宿に居る。時には博物館で、そして勿論宿でも顔を合わせると今日は何をしていたかと云う話をする。そして彼は、君は歩くのか、そうかそれは良い、歩くのがロンドンを知る一番の方法だといつかも話したことを初めてのように話す。私も、ははあ、そうですかと云う顔をする。三。十日ほど宿に居た中国の娘さんは郊外のと或る町に三箇月居たそうである。何をしていたのかと訊くと、草を愉しんでいたのと云う。更に詳しく問い質すと、草に転がり太陽と風を浴びながら小説を読んでいたと云うことである。四。学校で席を隣にするのはトルコの男である。彼は私に何処に住んでいるのかと訊いた。私は、歩いて三十分ほどの宿で五十人ほどが泊まっていると答えた。次に彼は食事はどうしているのかと訊いた。私は毎日作っている答えた。すると彼は二つの話をごたまぜにして君は五十人の食事を作っているのかと訊いた。作る訳がない。五。今夜劇場でオペラ坐の怪人を見た。私はこの演目を二十五の頃に見たことがある。私は常常感情を抑えるようにしているけれども今日はそうはしなかった。私は何度も泣いた。人間と云う生き物は、殊に芸術に生きる人間と云う生き物は何と美しいのだろう。六。あの愛すべきメキシコの男、大きな身体で哀愁を帯びた声を出すメキシコの男は昨夜が最後の夜であった。けれども彼は今朝病に倒れ病院で注射を打ち今も宿に寝ている。心理学者は云う。彼はここに居たいから病を得たのだと。そして私たちは、彼はベルリンもローマも諦めてここからメキシコへ帰れば良いのだと話している。
 
九月七日
学校を終えたのち劇場へ行く。今日の演目は私の意に沿わなかった。席が遠いのと私が言葉を解さないのと、否、やはり作品に力がなかったのである。アラン『四季にまつわる五十一のプロポ』読了。
 
九月十二日
朝駅前にある電話屋へ寄る。中東風の女が私に説明をする。暫くして身体の大きな髭を生やした店主の男が、そんなに時間を掛けることはないのだと云う。だけどこの人は困っているじゃないのと云って女は話を続ける。少しして再び髭が、ここには客が沢山来る、だからこれは幾らこれは幾ら、それ丈で良いのだ、それ以外の余計なことはと口を挟むと、女は店主の額をぴしゃりとはたいた。店主は有難うと呟いた。私はこの人を知っているよ、数日前に私が話をしたからね、この人は今困っている、私は助けることが出来る、この人は悦ぶ、私も嬉しい、そう云うことじゃないか、それに私は日本の人が好きなんだよ、アメリカの人も云ってるよ、日本人は礼儀正しくてそれに頭も良いってね、それに日本人は、そう、東洋の青い薔薇なんだよ、ねえ兄さん、そうだろうと私に訊ねる。さあどうでしょう、よく知りませんがと私は答える。本日よりサマセット・モーム『月と六ペンス』を読む。
 
九月十五日
朝元の宿へと戻り学校へ行く。ロンドンに居る間に学校を休むと云うこともして見たいと思いながらも結局休めないでいる。私の心根は真面目なのかも知れない。夜劇場でシェイクスピアの劇を見る。この演目は一年前ロシアの劇場へ赴いた折に、これは五年前に終わっているよと云われたものである。言葉は判らなかったので復讐を果たしたとは云い難い。けれども私はこの町で出来得る限りの芸術を自分に見せようと考えている。それらの空気や薫りは私に何かしらの良い影響を与えるに違いない。今朝地下列車で爆発があった。これからは歩くか乗合いでの移動となる。
 
九月十七日
午後町の東で蚤の市を見る。ネパールの首巻きが六倍の値で売られている。世界中の地図を揃えた店もある。けれども途中で人の顔を見ているほうが愉しいことに気附いた私は店主や行き交う人の顔を眺めながらに歩いた。夜はエチオピアの娘さん、それからケニア帰りの日本からの娘さんとそれぞれ二時間ほど話す。人間には別れもあれば死もある。仮にそうしたものがなければ人は幸せだろうか。否。そうした哀しいもの寂しいもの忌むべきものがあるからこそ人生は輝くのだと私は頭では解することが出来る。幸か不幸か感情はまた別である。
 
九月十八日
近頃宿では香港の娘さんたちと時折言葉を交わす。彼女たちは食堂や洋服店で働いていてこれから二年ほどここに住むと云っている。そのうちの一人は顔を合わせる度に菓子やら何やらを呉れる。彼女は今朝十八人部屋から四人部屋へと移ったので、そうか今日は別の部屋かと云うと、すごく遠いねと可愛い声で呟いた。恋に落ちて仕舞わぬよう気を附けねばならない。
 
九月二十日
朝ロンドンに十年住んでいるマレーシアの男と話す。仕事は何かと訊ねるので、学習塾で働いているけれども物書きを目指しているのだと話すと、君が物書きと云うのは判るよ、人は何かを発しているからねと云う。午後現代美術館を見納める。何かに反応することは才能であるけれども、何かに反応しないこともやはり才能であり能力である。二十時帰宿。エチオピアの娘さんと話す。三日前彼女に日本茶の効能を説かれて以来私は砂糖入りの紅茶をやめ日本茶を飲んでいる。彼女は夜は眠らずに明け方に漸く眠る。八人部屋に居る彼女はみなが目を覚まさないよう息を潜めているけれども或る明け方の四時頃炭酸の入った飲み物の蓋を開けると二人が起きたと云う話が下らなくて笑った。朝のマレーシアの男は建築家である。彼は心の動く風景を見ると写真ではなく絵に描く。欧州やアジアの町並み。場末の人びと。卵を産む海亀。彼はこの町で鉄道駅舎も建てている。
 
九月二十二日
学校。のち級友たちと酒場へ出る。上級組のイタリアの娘さんと話をする。彼女はソルボンヌで文学を修め、今はハーバードを目指している。マルクス・アウレリウスのような哲学者ではないけれども私はこの詩人が好きなのよと薦めて呉れたのはヴェルギリウスであった。担当教師とも話す。私にとって四人目となる先生は寡黙で愛想はないけれども味わい深い男である。或る日彼は生徒たちに、この言葉は君たちの国の言葉で何と云うのかと訊いた。生徒の一人が、英語と同じですと云うと、彼は恐ろしいことだと呟いた。今日彼は、この国で失望するのは人びとが普段着で劇場へ行くことだと云った。彼はこの話をするのに敬意と云う言葉を用いた。彼はロシアに居たことがあり、言葉を忘れないためにロシア語を学んでいる。ロシア語を学んだのちはフランス語を学ぶと云う。曰く、英語が商売のための言葉である為らばフランス語は芸術のための言葉なのだそうである。
 
九月二十四日
ロンドン四十四日目。最後の日曜日。郊外へ出ることもなくロンドンの町を歩く。英語を聴き本を読み溜まった日記を書く。自分にとってはこれが最も正しいロンドンの過ごし方であるように思う。馴染みの小さな公園はヴァージニア・ウルフが小説の着想を得た公園であることを知る。
 
九月二十七日
蚤の市。のち学校。先生は文法を教えるために時間軸を描く。ここが過去、ここが現在、ここが未来。すると四十七歳になるポーランドの男が、我我の現在はそんなに死に近くない、それじゃあ未来がないじゃないか先生と訴える。不意を突かれた先生は珍しく笑いながら現在を左へ移す。茶目気のあるポーランドの男は隙があれば軽口を叩く。しかし彼は時折寡黙になることがあり、そんなとき彼の目は不思議な色を帯びている。私は彼の何か物事の奥深くまでをも見透かしているような、静かで、穏やかで、何処かの森の泉を思わせるような青い目が好きである。彼は働きながら英語を学び冬を越せば祖国の小さな村へと戻る。深更スコットランドの女性と話す。彼女は幾つになるのだろうか、妙齢の淑女で、美しい顔をしている。そして恐らくは育ちも良いのであろう、穏やかに言葉をひとつひとつ紡ぎ、文化、芸術、政治のことを話す。けれどもただ水を飲むとき彼女はその大きな容器に口を附け、がぼがぼがぼと相当な量の水を一気に喇叭飲みにするので私は思わず吹き出す。彼女は云う。だってこれはお酒じゃなくて水なのよ。けれども私は容器の水が凄まじい勢いで減って行くのを見る度に声に出して笑う。彼女は明朝宿を出る。頬を三度合わせての別れ。
 
九月二十九日
午後最後の授業。のち送別会と云う訳で酒場へと繰り出す。最後の別れ際に愛想のない先生が、君は良い生徒だ、そして恐らくは良い男だ、ぼくも昔はものを書いていたけれども今は書いていない、君が何をしているのか時折連絡を呉れ給えと思いがけないことを云った。最後の夜。荷造りを済ませたのち宿の食堂でオーストラリアの娘さん、フランスの娘さんと積木崩しをする。三日後から恐い教師を演じることを思うと可笑しな時間だと思いながら私はへらへらと積木を抜く。現在二十八時。これから空港へと向かう。
 
九月三十日
五十日目。朝八時の飛行機。一時間でドイツの小さな空港に着く。飛行機を乗り継ぎ十一時間、時差が加わることでバンコクに着いたのが二十九時。泥のように眠っていたので記憶はない。ただ食事が給されない私を不憫に思ったのか隣のドイツのおじさんが鶏肉と野菜の炒めものを手も附けずに私に呉れたのは憶えている。私はそれをぱくぱく食べた。
 
地中海日記抄
ロンドン日記抄
ネパール日記抄
ロシア日記抄
 
上井とまと日記 > 日記 > ロンドン日記抄
日記 やねうら われおかき 生放送 筆主